現代の松下村塾を目指して進む、東京都北区のフリースクール・サポート校・学習塾
滝野川高等学院・浮間ラボの教育方針
現代の松下村塾を目指す異色のフリースクール・学習塾
カテゴライズ(生徒の分類)をしない、真に平等な教育で生徒の個性を伸ばします
東京都北区に2019年の4月に開校したフリースクール・通信制サポート校である滝野川高等学院(塾部門の名称:浮間ラボ)は、
これまでのサポート校、フリースクール、学習塾とは概念が全く異なります。
生徒に対して「不登校であること」を求めません。
不登校であってもなくても入校でき、不登校を克服したあとも放課後や休日などを利用して通い続けることができます。
また年齢も問いません。中高生はもちろん、大学生や大学院生、あるいは小学生、社会人。すべての人に通う権利があります。
小学生は中学生に学び、中学生は高校生に、高校生は大学生に、大学生は社会人に・・・
そして、社会人は子どもたちに教え、子どもたちから学ぶ。
「教育」とは「共育」であり、滝野川高等学院にカテゴライズ(分類、差別)はありません。
東京都北区から広がる、古くて新しい学びのカタチ
近代以降、日本の学校はいつの間にか、同じようなカテゴリの生徒ばかりが集まる場所になりました。しかし、どんぐりの背比べでは優秀な人材は育ちません。
それに、似た個性、同じレベルの人を集めすぎるから人間関係のトラブルが多く生まれてしまいます。
滝野川高等学院・浮間ラボは年齢、性別、不登校や発達障害の有無など一切関係なく「夢」や「個性」を持ち、探求していくことができる唯一無二の学校です。
幅広い年代の生徒が在籍し、ともに学び、教えあい、自らを磨いていくことができた江戸時代の私塾のように場所。そこにコンプレックスや後ろめたさはありません。
モデルとなるのは幕末の私塾・松下村塾です。そこでは吉田松陰という先生のもとに9歳の子どもがいるかと思えば、吉田松陰よりも年上の生徒もいました。
幅広い年齢層で基礎学力も全く違いますから、全体授業には向いていません。ですから自然とマンツーマン指導ができ、その生徒の個性を最も伸ばす教育になりました。
松下村塾では、「生徒同士が教えあう」という21世紀においても最も効率が良いと実証されている教育法がすでに確立されていました。
滝野川高等学院・浮間ラボが目指す教育は松下村塾のような「共育」、「学びあい」が自然とできる学校です。
のびのびと、しなやかに
滝野川高等学院・浮間ラボは、JR埼京線北赤羽駅浮間口改札を出てすぐ右手にあります。学校の周囲は、飲食店やコンビニ、医療施設が駅前に立ち並んでおり、落ち着きつつもにぎやかな町並みが広がっています。
少し歩くと荒川があり、河川敷では野球やサッカーなどのスポーツで体を動かすこともできますし、荒川の河川敷に広がる自然と触れ合うこともできます。
本校では、その立地を生かして、キャリアデザイン・進学コースや野球ライフコースなど様々なコースを開設し、幅広い学びのカタチを提供しております。
右の写真では、中学生が定期テストの対策のために大きなホワイトボードを使って覚えた知識の確認をしています。
「黒板、ホワイトボードの前には必ず教員が立って、一方通行に生徒を指導しなくてはならない」などという決まりはありません。
生徒はその日やりたい勉強を強制されることなく、のびのびとやって、しなやかに伸びていきます。
書くこと、読むこと、話すこと
滝野川高等学院・浮間ラボでは様々なコースを開講していますが、共通して重要視しているものがあります。それはコミュニケーションです。
その中でも、特に“話す”ことと文章を“書く”ことを重要視しています。 “話す”コミュニケーションは、イメージがしやすいのではないのでしょうか。滝野川には、幅広い年齢層の生徒が在籍しており、様々な経歴や価値観を持った者が集まる場所です。だからこそ、教室内や活動中の会話には、多くの発見が秘められています。自分とは異なる価値観や視点を知り、学ぶことはもちろん行き詰っている際のアドバイスや問題解決のためのヒントなど、会話から得られるものは多くあります。
一方、“書く”だけでは、学力の向上や能力の向上にあまりつながらないイメージを持たれるかと思います。しかし「考えながら書くこと」によって読解力、文章力、情報取得力、自己表現力が高められ、日本人に不足しがちだとされる【創造性】を伸ばすことができます。また、書くことで自分の考えを言語化することで、自分の考えが整理され、明確になるので、将来の目標設定につながります。さらに書いたものをもとに議論を行うことで、自分では考えつかなかった新たな価値観や考え方などを得ることができます。私たちは、この“書く”こととそれにまつわる様々な学びから、“書く”ということを新たなコミュニケーションの一つのカタチと考えています。滝野川高等学院では、“話す”と“書く”の2つのコミュニケーションを共通の柱とした、次世代の学びを提供しています。
本校設立の経緯
滝野川高等学院の代表である豊田は、大学院入院後から三重県の非常勤講師として勤め、修了後の2011年から、私立の通信制高校の教諭となりました。翌2012年には25歳にして進路指導主事に抜擢され、3年生の卒業時進路決定率を就任時から3年連続で100%を達成し注目を集めました。また、大学進学率においても通信制高校の全国平均が18%のところを、40%台の高実績まで上げました。
しかし、進路決定率が上がると同時に入学者数も増加したことで、新たな問題も浮かび上がってきました。生徒数が増えることで、一人の教員が対応する生徒の数が増え、個々の生徒に対して深く関われなくなっていったのです。そしてその負担を軽減するために、どうしても不登校経験者や発達障害の生徒に対する教育がシステム的になっていくことに、疑問を抱くことになりました。
そうした想いから設立されたのが滝野川高等学院です。
大学、大学院時代、江戸幕末の学者の一人である“吉田松陰”やその“門弟”の研究を行っていた豊田は、江戸時代の“私塾”のように1人の中心になる教員のもとに様々な個性を持った生徒が集まり、生徒と教員、生徒と生徒という、人のつながりによってお互いを高め合うこと学習環境を理想と考えました。そしてクラス、授業などという形にとらわれない、新しい概念の学校の設立に至ったのです。
(左の写真は高校教員時代の豊田代表。滝野川高等学院の現学院長である中塚も当時は17歳。この写真にも写っています)
どんな生徒さんが通っているの?
滝野川高等学院では、年齢制限を行っているわけではありませんので、小学生から大学生、高校卒業後に一度就職したけれども大学に通いたいと思い受験勉強を頑張る生徒など、様々な生徒が在籍しています。東京都北区の生徒だけでなく、他の区や埼玉県からの入学もあります。
そのような滝野川高等学院だからこそ、柔軟なカリキュラムで対応しております。例えば、朝が苦手な生徒には午後から通えるプログラムを準備し、午後からやりたいことがある生徒には午前中で終わるプログラムを準備するなど、生徒の事情に柔軟に対応したカリキュラムを提供しております。
また、生徒が通っている中学校から、滝野川高等学院の出席が中学校の出席日数として認められるなど学校との連携も厚く、滝野川で生活リズムを整えるなど、滝野川という段階を挟むことで徐々に不登校から立ち直り、学校に復帰する生徒が出ています。
体験入学や教室見学なども行っておりますので、資料請求など、お気軽にお問い合わせください。