滝野川高等学院 概括

現代の松下村塾を目指して進む、東京都北区のフリースクール・サポート校・学習塾

滝野川高等学院・浮間ラボの教育方針

フリースクールや通信制サポート校とは?

 東京都北区に2019年の4月に開校したフリースクール・通信制サポート校である滝野川高等学院(塾部門の名称:浮間ラボ)は、これまでのサポート校、フリースクール、学習塾とは概念が全く異なります。
 近頃、フリースクールや通信制サポート校といった学校は、少しずつ知られてきてはいますが、まだまだどのような場所なのかわからない方も多いと思います。そこで、それぞれについて詳しく説明したうえで、本校が他とは異なる点について紹介させていただきます。

フリースクールとは

 主に小学生~中学生の不登校生徒を対象にした学習支援施設です。似た組織として「適応指導教室」というものも聞いたことがある方が覆いのではないでしょうか。  
 フリースクールと適応指導教室は、どちらも小学生~中学生の不登校生徒を対象とした支援施設ですが運営元が異なります。適応指導教室は、文部科学省の求めに応じて各地教育委員会が運営する組織です。組織の目的としては、不登校生徒の学校復帰や社会的に自立を促すことを目的としており、集団生活や欠席による学習の遅れの補強などを行います。また、教育委員会が運営していることもあり、適応指導教室への出席が学校の出席となることが多いです。 一方フリースクールは、運営は民間の団体が行っており、民間だからこそのフットワークの軽さが特徴です。不登校生徒への対応方針については、個々のフリースクールにより異なるため、適応指導教室では出席することで学校の出席の扱いになりますが、フリースクールの多くは、そのような連携がとられていないことが多いです。また学習面に関して、学習塾などを一緒に運営している場所であれば、学習に関しても手厚い指導を受けることができますが、そうでない場所では学習面よりも集団生活や社会復帰を方針としているところが多いため、学力面において各フリースクールにバラツキが生じるというのが現状です。

通信制サポート校とは

 サポート校はフリースクールとは異なり、基本的に「通信制高校の卒業のための学習支援」が目的の施設です。指導内容としては、レポートや視聴報告書などの提出物や、スクーリングやテストなどのスケジュール管理、レポート作成の際の指導などが中心です。  通信制高校の卒業には、3年間で72単位の単位取得が必要であり、そのためには年に数回のスクーリングとレポート・課題の提出、学科試験が必要となってきます。  

 しかし、レポート・課題として課される分量は、1科目に対し数枚のレポートが課され、それが受講教科数の数だけ提出することとなります。その数は膨大な量となり、綿密にスケジュールを立てて計画的に行わないと、1年間で消化することができないことが事例として多々あります。   
 また、課題や学科試験の内容として、数学などの科目では教科書を見ただけでは理解できないような内容もあり、1人で課題をこなし、学科試験をパスすることは難しいという現状もあります。     

 通信制サポート校とは、このような一人では達成困難な、レポートの提出のための学習指導やスケジュール管理など、通信制高校卒業のために必要となる学習支援を行う支援施設です。 サポート校単体運営している組織もありますが、通信制高校がサポート校も運営しているという事例も多く存在します。  

滝野川高等学院について

本校設立の経緯

 滝野川高等学院の代表である豊田は、大学院入院後から三重県の非常勤講師として勤め、修了後の2011年から、私立の通信制高校の教諭となりました。翌2012年には25歳にして進路指導主事に抜擢され、3年生の卒業時進路決定率を就任時から3年連続で100%を達成し注目を集めました。また、大学進学率においても通信制高校の全国平均が18%のところを、40%台の高実績まで上げました。 しかし、進路決定率が上がると同時に入学者数も増加したことで、新たな問題も浮かび上がってきました。生徒数が増えることで、一人の教員が対応する生徒の数が増え、個々の生徒に対して深く関われなくなっていったのです。そしてその負担を軽減するために、どうしても不登校経験者や発達障害の生徒に対する教育がシステム的になっていくことに、疑問を抱くことになりました。 大学、大学院時代、江戸幕末の学者の一人である“吉田松陰”やその“門弟”の研究を行っていた豊田は、江戸時代の“私塾”のように1人の中心になる教員のもとに様々な個性を持った生徒が集まり、生徒と教員、生徒と生徒という、人のつながりによってお互いを高め合うこと学習環境を理想と考えました。そしてクラス、授業などという形にとらわれない、新しい概念の学校の設立に至ったのです。 (左の写真は高校教員時代の豊田代表。滝野川高等学院の中塚や足名も当時は17歳。この写真にも写っています)    

 そうした想いから設立されたのが滝野川高等学院です。本校は、フリースクール兼通信制サポート校として、2019年に開校しました。当初は、サポート校をメインとした形で発足しましたが、現在では本校に通う生徒は小学3年生から大学4年生までと非常に幅広い年代層となっています。 生徒たちは、各生徒同士で交流をしたり、自分の目的に沿った勉強をしたりと日々の生活をすごしており、他のフリースクールやサポート校と比較すると全く別物となっています。そのため、現在の本校の枠組みはフリースクールやサポート校という枠組みというよりも、学校でもなく家でもない第3の場所(サードプレイス)としての生涯学習施設というのが近い形です。

滝野川高等学院の由来

 現在の滝野川高等学院は北区北赤羽にあり、同じ北区の「滝野川」という場所からは数キロ離れています。 
 そのため「なんで北赤羽なのに滝野川なの?」という質問を受けることがあります。
 実はそれは、豊田代表の曽祖父と関係しています。豊田代表の母の祖父である本田正信は、山口県出身で大正時代は台湾で小学校の教員をしていました。そんなとき、東京の滝野川で新しい教育方法の小学校ができることを知り、東京に移り住み教員になりました。その学校こそが「滝野川尋常高等小学校」でそれは現在の滝野川小学校です。そこでは、チャイムを鳴らさないようにしたり、学校劇に力を入れたり、教科の壁を取り払った「総合学習」を行なったりと、現在のフリースクールにもつながる新しい考え方の教育を行なっていました。
 本田正信は、そこで若い先生たちのリーダーとして新教育を推進していきました。しかし、戦争がはじまり新教育の活動が終わりになってしまい、失意の中、山口県に帰りました。豊田代表はそんな志半ばで地元に戻った曽祖父の意思を別の形であれ果たしたいという思いもあり、「滝野川」という地名にこだわったのです。

本校の特徴

カテゴライズ(生徒の分類)をしない、真に平等な教育で生徒の個性を伸ばします。

 生徒に対して「不登校であること」を求めません。 不登校であってもなくても入校でき、不登校を克服したあとも放課後や休日などを利用して通い続けることができます。 また年齢も問いません。中高生はもちろん、大学生や大学院生、あるいは小学生、社会人。すべての人に通う権利があります。 小学生は中学生に学び、中学生は高校生に、高校生は大学生に、大学生は社会人に・・・ そして、社会人は子どもたちに教え、子どもたちから学ぶ。 「教育」とは「共育」であり、滝野川高等学院にカテゴライズ(分類、差別)はありません。

手厚い学習指導

 本校は学習塾を併設していますので、進学指導や学校復帰に備えた学習のサポートも充実しています。学力面での保証がされているからこそ、学校と連携を取り合うことで出席日数にカウントしていただく事例が本校には沢山あります(※出席日数にカウントしていただくためには、学校との連絡と連携が不可欠なため、確実に出席日数にカウントしていただけるということではありません)。これはフリースクールでは数少ない事例です。
 「学校に復帰したいけど、学業面で不安が……」、「中学受験を考えているけど、学力面も不安だけど、集団生活に対応できるかも不安……」。このようなお悩みがあれば、本校はぴったりの場所だと思います。

経済面でもオトク

 現在一般的に、週に数度学習塾に通うとすると月に3万円以上の費用が掛かるのは当たり前の状況になっています。そこで、不登校のお子様が進学を目指すとしても、フリースクールが学習面でしっかりした指導ができないと、学習塾との併用やフリースクールから学習塾への編入などを視野に入れなければいけません。
 しかし、併用の場合は費用が追加でかかりますし、フリースクールから学習塾への転入も、環境が変わることで上手くいかなくなるかもしれないという不安があると思います。
 ですが、滝野川高等学院は学習塾も併設しているので、定期テストや高校・大学の受験対策も充実して行うことができ、不登校のお子様がいても塾に通う費用は不要です。進路指導に関して、代表の豊田は進路決定率が60%前後(文科省調べ)とされる通信制高校で3年連続進路決定率100%を達成しており、実績も折り紙つきです。
 もちろん、本校に入学したからといって、必ずしも勉強をしなければいけないわけではありません。ですが、何事にも一定の学力は求められるので生徒がやりたいことがある場合、模試や検定を活用しつつ学習計画も一緒に立てて乗り越えていきます。また偏差値や就職率といった数字だけを見て進路を決定するのではなく、生徒と進学先のマッチングを大切にして、進路選びも手厚く行っています。