受験シーズン突入!!合格の舞台裏(中3生編)
いよいよ令和5年度の受験シーズンがはじまりました。
今年は小学6年生2名は受験がなく、中学3年生6人が高校受験、
大学4年生3人のうち2人が大学院受験、高校3年生は0名でしたので大学受験はありませんでした。
このブログを書いている2月3日時点で、以下の生徒たちの合格が決まりました。
・都立杉並高校(全日制普通科) 合格 (J.T君)杉並区・中学3年生(学習塾コース)
・都立高島高校(全日制普通科) 合格 (R.O君)北区・中学3年生(学習塾コース)
・東洋大学京北高校(全日制普通科) 合格 (K.K君)北区・中学3年生(フリースクールコース)
・東京成徳大学大学院大学院心理学研究科臨床心理学専攻 合格 (M.Tさん)北区・大学4年生(アカデミックコース)
・立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科 合格 (H.T君)北区・大学4年生(アカデミックコース)
まず、杉並高校の推薦入試を受験したJ.T君は、小学校で不登校で中1からの学校復帰でお兄さん、お姉さんも滝野川高等学院のOB、OGでそれぞれ、志望校に合格、進学して頑張っています。
保護者さんも本校の教育方針についてしっかり理解してくださっていて、入試に向けて勉強のペースアップをしていくのに苦労がありませんでした。ただ2年冬の時点では合格点から500点満点中で100点近い不足があったので、本当に志望校に合格できるか、本人もご家族も不安が大きかったと思います。
そんな中、通塾数を増やし、模試をたくさん増やし、苦手の英語を中心に基礎問題を徹底的に鍛えていきました。2年冬から3年冬まで常に成績が上がっていて、2月23日の一般入試までに何とか合格点に乗る目安が立ってきました。
年明けからは毎週5日間全て教室に来て、5科目の演習と共に推薦入試対策。
面接練習と小論文指導を繰り返しました。正直、都立の推薦入試はダメ元で挑戦するという風潮があり、倍率は3倍近くになるものの、ほとんど何の対策もしてこない受験生も多いです。そこでしっかりと受験対策がとれたことも勝因として大きいです。
なにより生徒が杉並区から毎日北区まで通ったことが最大の勝因です。元不登校の彼が、週5全てで学校に通い、放課後は週5で激込みの電車で荻窪から通えたことは、不登校生の支援を続けてきた私達にも勇気を与えてくれました。これで3兄弟の指導もひと段落、ひょっとしたら大学入試前に来ることになるかもしれませんが、しばらくの間はお兄さんのようにたまに滝野川に顔を出してくれると思います。受験、本当にご苦労様。
3兄弟の指導が一通り終了し、こちらも肩の荷がおりました。全員、志望校に送ることができ、本当にうれしいです。
次に都立高島高校に合格したR.O君です。
R.O君は杉並高校に合格したJ.T君のように移動距離があるわけではなく、
歩いても来れる北区浮間の生徒でしたので、通いには苦労がありませんでした。不登校経験はなく、おとなしく、あまり自分の感情を出さない生徒です。中2の頃から学習塾コースに通うようになり、当時は合計点270点/500点程度の学力でした。しかし、R.O君は粘り強く努力できる長所があり、成績は一気に上がりました。2年の終わりには380点を記録するなど、
都立高島は当確か?と思っていました。しかしそこから、部活動や体育の授業での負傷が相次ぎ、体調が安定しなくなり、成績も不安定になりました。
野球部ではキャプテンをしている生徒でしたから、自分が満足にプレーできなくストレスや葛藤などもたくさんあったと思います。
そんななかでも、ケガを治しつつ受験に向けて努力を続けてこれたのは素晴らしかったです。推薦入試対策はたくさんの小論文を書きました。もともと自分の意見を出すのが得意ではないので、「こういうパターンの問題はこんな切り口で論述する」という論述の形をしっかり覚え込ませることに注力しました。また、しゃべるのがあまり得意な生徒ではないので面接練習では「自分が持っている想いをどう言語化するか」というところで後押しが必要でした。一言、二言で答えてしまうとどうしても薄い回答になるので、どう重厚な返答になるようにしていくかという部分で、何度も何度も面接練習を繰り返しました。そんな練習のなかで本人の考える理想的な「文武両道」の形が定まってきたように思います。私から見て、「自信もって話せるようになったな」と思えた日の翌日が入試でした。
合格発表の日の夜、合格を報告しに来てくれたときの彼の晴れやかな顔は私もずっと忘れないだろうなと思います。本当にホッとしました。
(J.T君と、R.A君は推薦入試に合格した当日も、学習に励んでいました。)
東洋大学京北高校に合格したK.K君は、厳密に言うと、当スクールが合格させたとは言い難い生徒です。というのも、受験期はうちではなく自分が住んでいる近くの学習塾で学んでいたからです。しかし、ここに彼の合格を入れたのには理由があります。
それは彼が初期の生徒で、3年にわたってフリースクールをリードしてくれた生徒だからです。彼がはじめてフリースクールを訪れたのは小学6年の冬でした。その頃は学校に行くことができず、中学進学後も不登校の状態は変わりませんでした。しかし彼自身の変化はとても大きいものがありました。K.K君は「自分で目標を立てたら、それを最後までやり抜くことができる」という長所を持った生徒で「中1の頃はフリースクールに毎日通い、生活リズムを作って、中2からは学校に復帰する」という目標を自ら立てて、実際にほとんど休まずにフリースクールに来ることができました。また「中2で学校に戻るので、学力の遅れを取り戻しておく」という目標もあり、英検や漢検などの勉強、模試などにも取り組みました。最初は学習習慣をつけていくのに苦労したようですが、徐々に机に向かう時間が増えると学力は一気に伸びていきました。
また、K.K君はフリースクールの年長者として年下の生徒の面倒をしっかり見てくれました。中2になり、彼が学校に行くようになると、それに影響されて学校に行けるようになる生徒が出るなど、不思議と人を引っ張る力が備わった生徒でした。
中2になり学校復帰を果たすと、フリースクールコースから塾コースに移り、学習の遅れもほとんどなく、定期試験のたびに成績を上げていきました。英検3級にも合格し、中学校も休むことなく、志望校も決まり、合格に向けてほぼ当確ともいえる成績となりました。英検は最終的に準2級合格までいきました。そんな彼に対して、当スクールでやれることは全てやれたという印象です。電車の乗り換えなどもあるなか3年近くフリースクールに通いましたので、ここから先はより近所の塾で受験に集中する、といった方向性になりました。「不登校が再発する可能性が全くない」という状況になった生徒は初めてでしたので、送り出し方が少し中途半端になりましたが、その後も順調に学校生活を送ったK.K君は、単願の推薦で志望校の東洋大学京北高校に合格しました。
晴れやかな顔で合格報告に来てくれたK.K君は4、5カ月会わなかった間にすごく大人びた表情になっていました。
「送り出す」という仕事をしっかりと果たせたこともそうですが、「不登校から学校復帰をして、学力を身につけて進路を切り開いていく」という不登校生の王道パターンを3年にわたりサポートできたことが私たちの大きな自信になりました。K.K君にはこちらが感謝せねばなりません。
(K.K君が合格の挨拶に来てくれた際。仲がよかったスタッフの戸口と笑顔でパシャリ)
高校受験はまさに激戦で入試までに2~3年計画で徐々に合格に近付いていかないと自分が一番行きたい高校には到達できません。
しかし、不登校の状態からでも、子どもたちや親御さんの努力、フリースクール・学習塾のサポートのやりかた次第では、そこに到達できるということの事例が、当スクールで積みあがってきています。
その事例をこれからも、この記事のような形で少しずつアウトプットしていければと思います。
さて、ここまで書いてきたところ、
それぞれへの思いが多すぎて3000文字を超えました。
ということで、残り2人の
大学生編はまた、稿を改めてゆっくりお話ししようと思います。
引き続き、滝野川高等学院の生徒たちへの応援をよろしくお願いいたします。
代表 豊田毅
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