フリースクールは何を求められているか?

query_builder 2025/05/07
フリースクールは何を求められているか?

はじめに


 最近、「フリースクールはどんなことを教育しているの?」と問われる機会が増えています。不登校者数が増え続ける中、子どもたちの居場所、成長の場としてフリースクールがますます注目されているということの表れだと思っています。その質問に答えている中で、いくつかのことを考えたので、今日はそれを5つの項目に分けて書いていきます。

 

1.学習の遅れを取り戻すためのフリースクールなのか?

 まず入校相談を受けたときに、保護者さんから、「うちの子は学校の勉強が遅れていて、フリースクールで取り戻すことは可能でしょうか?」と問われます。

 結論から申し上げると、「部分的には可能」ということです。なぜ部分的か、と申しますと、フリースクールではいわゆる学習指導要領に基づいた学習をおこなっていません。つまり、学校の進度に合わせた学習ではないのです。したがって、フリースクールに通ったからといって、学校復帰した際にテストですぐに得点を取れる、というふうにはなっていません。

 フリースクールでは、それぞれが持ってきたドリルやワーク、長く在籍している人はフリースクールのスタッフがその生徒の学力を把握していますから、生徒に合った参考書、問題集をおすすめして使ってもらうこともあります。また滝野川高等学院では検定学習が盛んなので、英語検定、漢字検定、数学検定、歴史検定…など様々な検定の自分に合った級の問題集をやっている生徒がたくさんいます。そして、生徒はそれぞれの持ってきたワークなどを用いながら学習し、スタッフたちは、学習の様子を見守りつつ、分からない問題の解き方を教えたり、確認プリントを用意してあげたりしています。午前中は毎日学習の時間があるので、まとまった時間、机について学習するという習慣が身に着いていきます。もちろん、勉強が苦痛で不登校になっている生徒に勉強を強要することはありません。そういった子どもたちは、好きな本を読むなどして、おとなしく、思い思いに過ごしています。

 まとめるとフリースクールは「学校の授業に追いつくためのスクールではない」ということで、「学習習慣を身に着けさせるためのスクールである」といえるでしょう。あとは、家庭での学習時間を延ばしたり、学習塾などに通わせて学習の強度を上げたりは、ご家庭の判断となります。

 滝野川高等学院では、15時30分にフリースクールの時間が終わり、16時からは学習塾の時間となります。現在、フリースクールの生徒のうち5名が学習塾にも所属していて、週に1、2回、フリースクールで過ごした後、そのまま残って18時頃までみっちり勉強を習って帰っています。フリースクールの午前の学習時間が1時間~1時間半程度で、学習塾での学習時間が2時間ということで、計3時間以上の学習をしていることになります。それも、先生の話を聞いていても聞いていなくても、たとえ寝ていようが時間が経過していくような一斉授業形式ではなく、個別学習形式であるため、この3時間は非常に濃密な学習時間です。このように勉強が苦ではなくなった生徒は、非常に上質な学習時間を過ごしていきます。

 フリースクールは、学校の授業に追いつく、偏差値を上げるというような目的で学習時間を設けているわけではなく、学習習慣を身に着けるためのお手伝い、学習できる環境の提供をおこなっている教育施設です。

 学力がこれだけあれば幸せになれる、というようなものではありません。大切なのは、生涯にわたって、学ぶことが楽しいと思えることであり、学ぶことで人生を豊かにしていけることです。ですから、学力が同世代の生徒に対して遅れていても、それによって自分を否定することはありません。「あいうえお」、「九九」から始めても何も恥じることはないのです。

 追いつく、取り戻すのではなく、学問することそのものを楽しむ、それが滝野川高等学院というフリースクールの姿勢で、その姿勢は、これまでもこれからも変わることはないでしょう。

 

2.社会性を身に着けさせるためのフリースクールなのか?

 「学校に通わないと集団行動ができるようにならない」と心配されている保護者さんはたくさんいます。それも、部分的にはその通りかもしれません。ただ、「学校という社会」でうまく過ごせた人が、社会人になった後でうまく過ごせないことはよくあることです。一方で学校では目立たなかったどちらかというとグループでの動きが苦手だった人が、社会に出て、花が開いていることも多くあります。

 学校では社会性が身に着かないか、といえばそうではありません。学校内で人間関係について試行錯誤すること、先生からの指示を聞いて動いてみること、グループで話し合って問題を解決すること、部活で上下関係について学ぶことなどは、社会に出ても色々な局面で役に立つでしょう。

 では、フリースクールでは社会性が身に着くでしょうか?結論は、「フリースクールで充分に社会性は身に着く」ということです。社会性とは、読んで字のごとく、「社会に出て生活していくために必要な幅広いスキル」のことです。私はよく社会性を「あまり好きじゃない人とチームを組んで、あまり興味のない何かを成し遂げられるようなこと」と言っています。

 そういうと社会性なんて欲しくないなと思われるかもしれませんが、社会には興味のあることばかりがあるわけではなく、自分は興味のないこと、どちらかというと嫌なことがたくさんあります。しかし、それは誰かにとっては興味があることだったり、好きなことだったりします。なので自分が興味のあることに「付き合ってもらう」ために、自分は興味がないが、他の人が興味を持っていることに「付き合う」という局面はかならず出てきます。持ちつ持たれつ、それが社会性です。

 フリースクールでは、生徒が興味を持てることをたくさん用意しています。一方で、それが全ての生徒に当てはまることは稀です。どこかで「渋々その遊びをやっている」ような場面があります。入校したての生徒は、最初は自分が興味を持てないことには参加しませんが、人間関係が生まれてくると不思議と参加するようになります。人によっては数日、人によっては数年かかります。スタッフが、「このプリントやってみない?」と学習の時間に提案します。最初は首を横に振っている生徒も、スタッフに慣れてきて、なつくようになってくると、いつの間にかそのプリントを手に取っています。

 自然と人間関係が生まれて、自分がやらなかったことを人に巻き込まれてやるようになる。そうして知らず知らずのうちに笑顔である時間は増えていきます。

 かつて「おもしろき こともなき世に おもしろく」と詠んだ人がいます。高杉晋作という幕末の志士です。この句の意味は「世の中はそんなに面白いものではないかもしれないけど、自分しだいで面白く感じることができる」といったところでしょうか。

 社会性とは、ある意味で人生を面白くするための魔法のようなものです。興味のないことで、笑ったり、充足感を得たりできるのですから。そして笑顔の増えた人には人が自然と集まってきます。フリースクールでは、そういった社会性を身に着けることができます。卒業生をみていると、「おもしろき こともなき世に おもしろく」生きているな、と思います。そういう心持ちがあれば社会に出ても、楽しいことを見つけて幸せに生きていくことができるということだと思います。

 

3.生活リズムを整えるためのフリースクールなのか?

 「昼夜逆転をして困っています」という相談に来られる保護者さんはたくさんいます。不登校になると、最初は体力を持て余すのでどうしても夜、寝つきが悪くなります。次第に朝起きられなくなり、いつしか昼夜逆転し、「起立性調節障害」という診断を受けるケースも多くあります。

 フリースクールはあくまで教育施設なので、「起立性調節障害」を完治させることはできません。しかし、フリースクールに毎日通うことで、それなりに疲れますから、寝つきは格段に良くなります。そしてフリースクールの登校時間が10時30分ということも、絶妙に通いやすくなっています。これが8時半からだったら、また違った展開になったと思います。ともかくも、10時半に毎日来ることができるようになった生徒というのは、格段に生活リズムが良くなります。いつしか「起立性調節障害」とはいわれなくなった生徒はたくさんいます。

 「10時半に行けても、8時半に行くのは無理なのでは?」と考える人はいると思いますが、実はそんなことはありません。「特定の時間に、特定の場所に行く」ということが習慣化できた人は、実はその時間が早くなっても、対応できるようになるのです。この「習慣化」こそが最大の試練です。生活リズムも、勉強も、スポーツも、芸術も、趣味も、全ては「習慣化」が成功への一番のカギとなっています。

 フリースクールでは、「習慣化」の学校であるということができると思います。生活リズムを整えるために、フリースクールほど最適な場所はないといえるでしょう。

 

4.希望進路実現のためのフリースクールなのか?

 「高校に進学するために子どもを通わせたい」と言われる保護者さんは多いです。ただ、フリースクールは予備校や進学塾ではありません。そのため、「フリースクールは進学のための教育施設ではない」ということができます。

 では、滝野川高等学院の生徒の進学実績が上がっているのはなぜか?と思われるでしょう。それは大きくわけて2つの理由があります。ひとつめは、「その生徒に合った進学先を生徒、保護者と話しながら、ともに考えていくから」です。そしてふたつめは、「偏差値や倍率にこだわった進路指導をしない」ためです。

 もちろん、そういった「受験勉強」を否定しているわけではありません。ただフリースクールには、そういった「競争社会」の疲れから不登校になっている生徒がたくさんいます。その子どもたちの出身中学校を聞いたらびっくりすると思います。そのくらい高い偏差値を持っていて、競争に打ち勝ったことのある生徒がフリースクールには何人も来ています。そういう生徒たちを見ていると、「偏差値を上げよう、高倍率を勝ち抜こう」とはどうしても言えなくなってしまうのです。そもそも、その先に幸せはあるのか?と思ってしまいます。

 そこで私は、保護者さんと話しながら、生徒本人と話しながら、その生徒に合っている進学先を一緒に探し、必要があれば進学先候補の学校とも連絡を取り、入学のための条件を整えていくわけです。近年は高校受験を急ぐ必要も特に感じておらず、整わなければ中学卒業後もフリースクールに残って、通信制高校の卒業資格取得を支援し、大学や専門学校、就職につなげていきます。たとえるなら、進学校の進路指導や、今の受験界がとらえている受験は「新卒採用の選考方法による入社」のようなもので、フリースクールのおこなう進路指導による受験は「中途採用の選考方法による入社」に近いものがあると思います。新卒採用は将来性を誇示しつつ、高い倍率を勝ち抜きます。一方、中途採用は倍率と戦うのではなく「適材適所」に当てはまれば採用されます。マッチングが大切、というわけです。

 「置かれたところで咲きなさい」という言葉がありますが、「自分をどこに置くのか」も大切だと思います。私は、偏差値や倍率、学校の名前ではなく、生徒がやりたいことを見つけて、なるべく生徒の労力が少ない形で、やりたいことができる場所を探す、というほうが健全な進路指導だと考えています。 

 それでも、生徒が高倍率の有名校に行きたい、というのであれば、そのときはそのとき。全力でバックアップするだけの話です。

 

5.学校復帰のためのフリースクールなのか?

 「うちの子どもには普通に生きて欲しい」。これは確か私がフリースクールを設立して3年目のときに、かつてフリースクールに来ていた生徒の保護者さんが述べた言葉です。何をもって「普通」とするのかはいまだに分かりません。その保護者さんは、「普通に学校に通って、普通に進学して、普通に働いて、生きていって欲しい」という意味合いから発された言葉であると認識しています。その保護者さんの人生がその「普通」の中にあったのかは分かりませんが、子どもが不登校になることで、「不登校者の親」となり、「普通から外れてしまった」と自らに対して思ってしまったのかもしれません。

 フリースクールに対して、「子どもが普通に生きていくために、社会(学校)と家庭の中間地点としてのフリースクール」を望む保護者さんは多いと思います。私としてはその求めは正しいことだと思っています。いつかは親が先にいなくなる、それが自然の摂理であり、自分がいなくなった後の子どもを心配するのは親として当たり前のことです。しかし、私は思うのです。「親がいなくなった後も、子どもが生きていけることは、複合的な要素の先にある“結果”であり、その結果と、今不登校であることは直接的にはつながっていない」と。

 つまり、普通に学校に行くこと、学校復帰することは、進学のための要素の一つに過ぎない。同じように、普通に進学することは、普通に働くことの一要素であり、普通に働き始めたことは普通の老後を送れることの一要素でしかないということです。

 過度に「普通」に執着すれば、不登校を克服しなければならない、学校に復帰したら再び不登校にならないようにしなければならない、偏差値を上げて進学しなければならない…と際限なく、普通から零れ落ちることを恐れて生きていかなければなりません。そして、ある日突然、精神的に崩れてすべてを手放すことになるかもしれません。結局は今うまくいっているか、いっていないかは、結果ではなく、単なる「状態」に過ぎません。

 そういった考えのもと、私のフリースクールでは、「学校復帰は推奨もしないが、否定もしない」という立場を取っています。再登校するかどうか、どちらを選んでも正解だと思うし、どちらを選んでも結果ははるか先にあり、その結果を、私はもちろん保護者さんですら見ることができない、と思うから、私はどっちが正しいということではなく、その生徒がどう転んでも力になってあげられる場所、環境を用意することに必死なのです。

 不登校になったときのために「フリースクール」を作り、学校復帰したあとのために「学習塾」を作り、進学先の高校を中退したときのために「サポート校」を作り、今では「通信制大学のレポート作成支援」、「就職支援」を始めています。

 環境を整えて、生徒の行く末を見守り、必要なときは具体的な形で手を差し伸べる。それが滝野川高等学院のやり方です。あくまで「学校復帰」はそのなかの一手段であり、「フリースクールは学校復帰のための教育施設ではなく、生徒の人生全体を応援するための教育施設」と私としては結論付けています。


おわりに


 今回は、「フリースクールが何を求められているか」について、5つの要素から考えてみました。これは代表である私の現時点での考えであり、それはこれからも日々更新されていくものかもしれませんが、少なくとも、今のフリースクールがとてもいい環境であることは間違いないと思っています。

 今、フリースクールの教室内でこの文章を打っている目の前で、いつもは大人数の遊びには関わろうとしない小学生が、高校生たちがトランプをしているところに近付いていき、小さな声で、「次のゲームから入ってもいい?」(語尾はほとんど聞き取れなかったですが)と言っていました。高校生たちは「もちろんいいよ。」とその小学生が座る場所を空けて、私の前にあった椅子を持っていき、小学生の座るところを作っていました。

 それは些細なことだし、日常にありふれている光景ですが、そんな日常のひとコマが、子どもたちの人生をより「善い」ものにしている。そのように思えてなりません。

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滝野川高等学院

住所:東京都北区浮間1丁目1−6 KMP北赤羽駅前ビル3F

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