子どもを虐待してまで不登校は「解決」させる必要があるのか

query_builder 2024/11/20
子どもを虐待してまで不登校は「解決」させる必要があるのか

滝野川高等学院・浮間ラボ代表 豊田毅


 巷で話題となっている「3週間で学校に復帰させるサービス」ではデジタル機器を子どもから取り上げるということを主な学校復帰の方法として使用しています。何のために取り上げるか、というともちろん子どもを学校に行かせるためです。「学校に行くことができ、やれるべきことがやれているのなら、ゲームもスマホも好きに使ってかまわない」。しかし、「不登校の間は使用できない」というルールを作って学校復帰を促すようです。学校に行かせることが最終目的なのであれば、このやり方はとても理にはかなっていると思いますが、子どもが幸せに生きるための「過程」が登校なのであれば、このやり方は極めて悪質だといわざるをえません。  


 そもそも現代において、スマホやゲームをはじめとするデジタル機器に依存しているのは、なにも子どもだけではありません。電車に乗っている大人も、道を歩いている高校生や大学生も、かなりの割合でスマホを触っています。それは日本人だけではなく外国人も同様で、彼らもスマホを片手に歩いています。かくいう私もかなりの時間、スマホを触っています。不登校者のデジタル機器使用だけ問題視するのはおかしな話です。  


 デジタルがここまで人々の生活に浸透している時代というのはこれまで存在しません。そして2030年に「Society5.0」※という新たなフェーズに移行するといわれている中で、今はその過渡期であるといえます。内閣府はSociety5.0を「サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会」と定義し、「持続可能性と強靭性を備え、国民の安全と安心を確保するとともに、一人ひとりが多様な幸せ(well-being)を実現できる社会」を目指すと表明しています。そんなデジタルが人間生活に完全に融合される時代において、「デジタル機器に依存する」ということを問題視するという考え自体が前時代的であるといえるでしょう。  


 つまり、子どもからデジタル機器を奪うという発想は、「やることをやっていない人には、人としての権利は与えない」と宣告しているようなものです。不登校とは、「やっていない」のではなく「(やりたくても)今はできていない」という状態です。この状態の子どもから権利を剥奪するという発想の恐ろしさに気付くべきです。仮にこのやり方で子どもが「再登校」を果たしたとして、この子どもが再登校をした理由は、「ゲームやスマホがやりたいから」ということになると思います。学校に行くのはあくまで「手段」です。


 人が学校に行く理由として、かしこくなりたいから、勉強するために学校に行く。学力を積み上げて希望する進路を実現するために学校に行く。というような一般的に想定される理由もあれば、友達と会いたいから学校に行く。部活が楽しいから学校に行く。勉強自体が楽しいから学校に行く、という素朴な理由もあり、何となく他にやることもないから学校に行っている、という人もいるでしょう。今挙げた全ての理由は、ごく自然なものです。しかし、「学校に行かないとゲームやスマホを取り上げられるから学校に行く」というのは、「人質を取られているから身代金を払う」というのとやっていることは本質的には変わらないと思います。不登校者には人権はない、というような発想としか受け取ることができず、私だけではなく、子どもの育成に関わるものであればほぼ全員が不快感を抱くのではないでしょうか。  


 不登校になった子どもには、不登校になっていく過程で、その子どもなりに苦しかったこと、つらかったことが多かれ少なかれあると思います。その子どもの抱える苦しさ、つらさを軽減したり、解消したりするのではなく、さらに権利を剥奪する形で再登校にもっていこうとするのは、明確に「虐待」です。そうまでして学校に戻す理由はなんでしょうか。私には、そこまでして学校に行かせる理由が見つかりません。それどころか、そこまでするくらいなら行かないほうが圧倒的に正常だとすら思えます。勉強も運動もコミュニケーションも、学校でなくても学ぶことができるのです。


 もちろん学校でしか学べないことだって、たくさんあるでしょう。学校で友達と机を並べて切磋琢磨した経験は、私のなかでかけがえのない経験であり、学校でしかできなかったといえます。でもそれはあくまで人生を形成している物語の一部でしかなく、それがなければ今の自分がないということではありません。その経験を得るために命までかける必要はありません。  


 学校に行けない子どもの生活の中で、デジタル機器がどこに位置付いているか。まずは周囲の大人はそれを深く洞察してみてほしいと思います。その子どもにとって、「友」のような存在かもしれませんし、自分と世界を繋ぐ唯一のツールなのかもしれません。それしかやることがないからやっているだけかもしれませんし、親への反抗の一環でやっているかもしれません。そういった子ども一人ひとりにある「リアル」を無視して、デジタル機器を「怠惰の象徴」のように扱い、取り上げてしまうのは、何度も言いますが虐待にあたります。殴って子どもを無理やり学校に行かせることに違和感を感じる人であれば、デジタル機器を取り上げて学校に行かせることにも違和感を感じるはずです。  


 昨今、「肉体的な虐待」が常に問題視され、社会から排除されてきている反面、「精神的な虐待」については黙認されている節があります。目に見えない傷ほど癒すことは難しいものです。あくまで、学校に通うことは子どもが幸せになっていくためのたくさんある手段のひとつであり、目的ではないということを忘れないでほしいと思います。



※Society 5.0
我が国が目指すべき未来社会の姿であり、狩猟社会(Society 1.0)、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報社会(Society 4.0)に続く新たな社会です。第5期科学技術基本計画(平成28年1月22日閣議決定)において、「サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会」としてSociety 5.0が初めて提唱されました。第5期科学技術基本計画で提示した Society 5.0の概念を具体化し、現実のものとするために、令和3年3月26日に閣議決定された第6期科学技術・イノベーション基本計画では、我が国が目指すべきSociety 5.0の未来社会像を「持続可能性と強靭性を備え、国民の安全と安心を確保するとともに、一人ひとりが多様な幸せ(well-being)を実現できる社会」と表現しています。


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