不登校という言葉の意味を考える

query_builder 2020/07/05
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不登校という言葉の曖昧さ

 皆さん、「不登校」という言葉を聞いたときに何を考えるでしょうか。多くの方は、色々な問題を抱えて学校にいけていない、いわゆる「引きこもり」を思い浮かべるのでしょうか。ですが、不登校という言葉に含まれる意味は、もっと多岐にわたります。



画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: 420996_s.jpg 例えば、「やんちゃ系」といわれる子供たち。多くの方には、一昔前の表現の「不良」という呼び方のほうが、イメージがしやすいかもしれませんね。彼らの多くも、広い意味では不登校に入るのです。

 教育現場では、“年間30日以上の欠席”を行う生徒を不登校と称します。つまるところ、理由はどうであれ、30日以上学校に登校しない生徒を指す概念が「不登校」なのです。

 では、学校をよく休むけど年間で30日未満の欠席で済む生徒は不登校ではないのでしょうか。極端な話をすれば、29日の欠席では不登校といわないのでしょうか。

不登校の原因=学校での出来事?

 私は近頃、不登校という言葉について考えることが多々あります。冒頭の話に戻りますが、近年「不登校」という言葉に含まれるイメージとして、「引きこもり」というイメージが定着しつつあるように感じます。そんな「引きこもり≒不登校生徒」の抱える問題として、“いじめ”をはじめとする学校での人間関係や成績不振など、学校にまつわる問題がよく取り上げられます。ですが、本当に不登校生徒が抱える問題の根本的な原因として、学校そのものが原因であるといえるのでしょうか。

 近頃、こういった子供たちにおいて「学校」とは、自分たちが属する社会の“象徴”であり、自分を推し量る“物差し”なのではないかと考えています。つまるところ、「学校に行きたくない」と彼らが発する理由には、学校での人間関係や成績面での問題などといった直接的に学校に関連する内容以外にも、多くの意味が含まれているのではないのでしょうか。

 不登校になった動機を見てみると、きっかけは細やかな原因であったりします。私の場合は、”学校が面白くない”でした。自分の周りにいる不登校経験者に話を聞いてみると、”朝起きるのが辛かった”、”部活が面白くなくなって行く気になれなかった”といったことから、不登校が始まっています。

 このように、不登校のきっかけは学校に関係するものでありますが、本質的な原因はもっと奥深くにあると考えられます。私の場合は、中学に入学後、学校の雰囲気が変わると同時に勉強の質が変わったことで、勉強についていけなくなったことが始まりだといえます。ですが、それを補うために学習塾にも通いましたが、改善されることはありませんでした。

 この状態までいくと不登校の理由は純粋な成績不振が原因ではなく、やらないことに対して心が慣れてしまったからだといえます。ですが、改めてこの状態の原因について振り返ってみると、問題の所在は学校から離れていることに気づきます。つまるところ、自分の内面の問題へと原因が移り変わっていってるのです。

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 確かに、いじめや人間関係で悩む不登校の子どもたちは多いですが、不登校ではない子どもたちも同じような悩みは抱えているでしょう。下手をすれば学業ではなくても、人間関係やいじめ、成績といった面では大人も悩むことが多いです。加えて、大人のいじめなどはもっと陰湿であることもあり、人間関係も子供のころよりも複雑になることもしばしばです。では、大人や不登校ではないけど悩みを抱えている子供たちと、不登校で引きこもりになってしまっている子供たちとの差はどこなのでしょうか。

不登校になる人間と、そうでない人間の差って?

 私は、性格対処の経験頼れる存在の有無だと考えています。
 先にも話しましたが、私が中学生のとき「面白くないから」ということと「学校の勉強が何の役に立つのかがわからない」という内容で学校に行きたくない理由を母に話したと記憶しています。だからこそ学校より面白いことが多い家にこもっていたということなのですが、そうだといって「学校」そのものが嫌で行きたくなかったというわけではありません。あのとき、

”もっと勉強の面白さを教えてくれる人がいたらどうか”。

”もっと多くの問題と向き合って、わかるまで勉強をすればよかったのではないか”。

このように、考えることがまれにあります。今でも”勉強”は苦手ですが、”学び”は好きなのです。「学び」といいましたが、物事の”研究”や”追求”と言い換えるとわかりやすいかもしれませんね。何かの物事を深く知り、考えることが好きなのは、昔から変わっていません。ですが、当時はそのやり方や面白さを自分では見つけられなかったのです。だからこそ、その手法や面白さを誰かに教えてほしかったのです。

 その人が、他人に対してはっきりと意思を表明できるかどうかは、性格によるところが大きくなります。ですが、それだけとはいえないのではないでしょうか。そこで経験と人脈が影響を及ぼすのではないかと考察しています。人間関係に限らず、苦手なことであってもそれに対する場数と助言によって人は経験を積み、うまく対処ができるようになっていくことがほとんどです。不登校生徒が抱える問題も、本質はここにあると考えています。苦しいとき、悩んでいるときに支えてくれる人や助言をくれる人がいなかったり、一人で悩み頑張ってきても上手くいかず疲れてしまったり。そういったことから、不登校ははじまるのではないでしょうか。

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 きっかけが学校であるのは間違いないことです。なぜなら、子供が生活する中心となる社会は学校だからです。ですが、学校での出来事がきっかけだとしても、そう発展したのは学校だけの問題とはいえないでしょう。だからこそ、「不登校」という言葉で、「子供たちが抱える問題をひとくくりにしてしまうのは違うのではないか」。「不登校以外の子供たちは問題がないといえるのか」。「学校に来ているから放っておいてもよいのか」。このように考えてしまうわけです。

 であれば、「不登校」という概念は、もう少し深化させていく必要があるのではないでしょうか。

文責 中塚豊



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