不登校の保護者に読んでほしい。不登校支援における適度な「何もしない」の重要性。
滝野川高等学院教務 足名笙花
こんにちは。いつもの足名です。
今回は真剣に、「保護者と子どもの関わり方」と
「不登校の支援の仕方」についてお話していきたいと思います。
私は中学時代不登校となり、高校は通信制、大学は4年制という道を進んでいきました。その間、様々な人々と関わってきましたが、その中で特に私が注目したのは、「個々の友人の性格や価値観と、家族関係の相関」でした。
例えば通信制高校時代、幼少期におきた家族関係の崩壊により、お父さんのことばかり話す友人がいたり、家族が新興宗教をやっているため、家族に頼れない友人がいたり、保護者が虐待やネグレクトを行なうため、金銭面のことを自分で何とかしなければならない友人がいたりしました。
彼ら彼女らの場合、目に見える形で、保護者の在り方によって、自己肯定感が著しく下がり、学校や勉強以外の部分で子どもが考えなくてはならないことが生じたりしていました。またそれらの負荷によって、性格や価値観にも影響が出ているように、いち友人である私には見て取れました。
また以上のような例だけでなく、私の通った通信制全日校の友人や先輩後輩の中には、家庭の不和や、保護者の過干渉や育児放棄(ネグレクト)などによって、適切な支援が行われておらず、不登校が引き起こされたように見える(本人も言っている)事例も多くありました。
また大学に入学後は、個性豊かな多くの友人に恵まれましたが、あまりにも保護者が過保護過干渉であるばかりに、家族の話ばかりしたり、家族が常に聞き役に回っていたために、会話のキャッチボールに難があったり、就職や進学の際に、家族の意向により、地元に残らざるを得ない友人がいたりと、不登校ではなくとも家族の関係性によって、その子自身の個性や成長が阻害されている例や、家族との関わり方によって、性格や価値観に影響を受けている友人もいました。
最近、SNS上では「毒親」という言葉が目立ちますが、「毒親」という定義は様々あれ、「毒親」とは、子どもが望まない教育や接し方を長年保護者が子どもに対して行なった結果、子どもの自我が芽生えたり、子どもが自立したりした後、保護者の言動行動などを振り返って述べられる言葉です。
上記に記したような友人は、自分の両親を「毒親」といったことはありませんし、保護者に問題がある可能性についても言及する友人も一定数いたとはいえ、決して数が多いわけではありませんでした。
しかし「毒親」という言葉がSNS上で目立つようになり、毒親とはどんな親なのか?子どもがどうして保護者を「毒親」と認識するようになったのか?考えることは、不登校の支援や不登校の親子関係とも関連があると、私は考えました。
そして高校時代、大学時代、そして今、フリースクールのスタッフとして不登校の子どもやその保護者と関わる中で、過干渉、過保護、虐待やネグレクトなど、関わり過ぎても関わらなさすぎても、子どもの自尊心や自立心を奪うという事実に辿りつきました。
そして、幼少期から保護者の支配下・管理下に置かれた子どもや若者は、自分の保護者が「毒親」であるという事実に気づくことが出来ないまま、大人になっても保護者に自分の進路や人生を支配され続けてしまうことも知りました。
なぜなら保護者を「毒親」と認定できるということは、子どもの心や体が成長し、客観的に物事を理解することができるようになった、ともいうことができるからです。
私は自分の両親を「毒親」と思ったことはありませんが、自己の経験を話すとそれに類するような返答を得たこともしばしばありました。
例えば、私の父親は転勤族で、1~2年に1回は引っ越しをする家庭で私は育ちました。このため小学校は県をまたいで5回も変わり、自分は各地の引っ越し先で生きるため、必死に各々の文化や人々に適応しようと努力し続けました。しかし父は子どもが転勤についてくるのは「当たり前」という考えで、小学校5年生の時に転校が決まり私が転校拒むと、怒鳴り散らして、無理やり私は転校を余儀なくされました。
当時のことを振り返ると、「1~2年先には転校することが分かっている中で、よく毎回毎回新しい土地で人間関係の構築をしていたな」と思うと同時に、「そうしなければ、イジメられたりグループでハブられたりと私に居場所がないことは分かっていた」ため、必死だったことも思い出しました。
そしてこんな感情を当時小学生だった私が抱いていたことなど、私が不登校になるまで両親は全く知りませんでした。両親は私のことを「どんな場所でも友達が作れる明るくて元気な子」だと思っていたようです。実際、私は同世代の子どもたちの中では明るく社交的に振る舞っていたと思いますが、それと「引っ越し、転校」はまた別の話だということは、客観的に考えたらわかることだと思います。
そして私の弟には、発達障害と知的障害があるのですが、父はその教育に携わったことはなく、いつも母が私と弟の世話をしていました。そもそも父は月に2回ほどしか休みがない職場で、いつも夜中に帰ってくるため、関わることも少なかったのが事実です。
そして私の母は弟への対応が上手くいかないと、ヒステリックになり、私が怒られるタイミングではないときも怒鳴られました。そして今では、子どもの声や赤ちゃんの泣き声などがとても苦手になっています。
また母親の感情の起伏の激しさだけでなく、家ではお菓子の制限があったり、弟のことを思ってか、入浴剤やシャンプーなども市販のものは使用することが出来なかったりと、生活にもいくつかの制限がありました。
そして最も私が子どもの頃嫌だったのは、両親が一度もゲーム機を買ってくれなかったことでした。私が小学校低学年だった頃には、はやりのゲーム機を持っていないのはクラスの中で私1人。というほど、子どものコミュニケーションツールとして、遊びの道具として、ゲーム機は流行していました。
しかしそんな状態でも、父も母もゲーム機を買ってくれることはありませんでした。母の中には、「ゲームは頭が悪くなる」という考えがあったようですが、ゲームが理由で友人の輪の中に入れず、今でもフリースクールの子どもたちの話の中に入っていくことが出来ません。今はゲームをやりたいという気持ちは全くないですが、子どもの頃に、ポケモンやモンスターハンターなど、みんなが遊んでいたようなゲームが出来れば、今でも子どもたちの話題についていけたのではないか?と考えてしまいます。
ちなみにこのような両親の行動が、世の中の保護者の方と異なると分かったのは、ごく最近のことです。私にとっては両親のいうことが世界の全てだったため、それらの行動に問題があったとは当時気づくことが出来ませんでした。
気づくできれば対処法を考えることも出来ますが、子どもの場合そう思っていたとしても、保護者の監視下にいるため、口に出すことはおろか、相談相手を見つけることも困難です。
また一番多いのは、保護者もその子どもも、親子の関わり方の問題や過度な躾、甘やかしなどに気づいていない場合です。
私は長年、不登校に関わる生活を送る中で、保護者の子どもへの接し方が、子どもの成長に大きな悪影響を与えていると感じることがしばしばありました。
例えば…
保護者が過度な期待をかけ、子どもの意思を尊重せず、小学生や中学生のうちから様々な習い事をさせたり、進学塾に入れたりして、子どもがその重圧に耐えられず折れてしまい、不登校になった。
子どもが心身の不調を訴えると、保護者がすぐに学校を休ませるために、勉強についていくことが出来ず、子どもが学校に行く意味を見失ってしまった。
子どもが保護者に話した学校での内容を鵜呑みにして、保護者が学校に苦情をいうため、子どもが学校に行きづらくなってしまった。
両親の離婚や家族の介護などによって、心身に負担を抱え、学校での活動に注力することが出来ず、不登校になったしまった。
保護者の暴力やネグレクトなど目に見える虐待はもちろん、保護者の暴言やヒステリックなどの不安定な環境下におかれ、精神的にダメージを負い、学校に行くための気力をそがれてしまったなど…
形は違えど、1つ1つの状況は、子どもが生み出したものではなく、保護者や家庭内の影響によって不登校になったものでした。
これらの例がイコール「毒親」ではないですし、子どもが不登校となったら「毒親」というわけではありませんが、子どもが不登校となってしまったとき、保護者の方は自分の行動や言動を振り返って考えてみてほしいと私は思います。
そして以上の保護者と子どもの関係を整理してみると、結局は、「適度に何もしない」ということが子どもにとっても、保護者にとっても一番良いのではないかと考えました。
もちろん食事を作ったり洗濯をしたりと、基本的な家事はしなくてはなりませんが、子どもの意思や想いを尊著すること、そして子どもの話す周囲の友人や社会、学校での出来事を広く客観的に聞きながら、子どものしたいこと、したくないこと、頑張りたいことなどを聞いて、共感して励ましてあげてください。
「何かしなきゃ」と思うと、保護者の方も焦ってしまったり不安に思ったりしてしまって、子どものことを怒ってしまうこともあるかと思います。しかし「適度に何もしない」「子どもの意思を尊重する」ということを意識すれば、きっと保護者の方の心も軽くなるかと思います。
そして「〇〇しなさい」「〇〇をやりなさい」「〇〇はダメ」といった強制語や否定語ではなく、「〇〇はどう?」「そうなんだね」「〇〇くん(ちゃん)はどうしたい?」などと、選択を子どもにゆだねてあげてください。
それだけで子どもの心はずっと軽くなります。
前向きになれます。
自分のことも、家族のことも好きになることが出来ます。
今回は少し突っ込んだ「教育」の話をしてみました。
もちろんこれは私の一見解であるため、この情報も広く客観的に見て、ご判断ください。今回もお読みいただきありがとうございました。
滝野川高等学院
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