元不登校が考える学ぶ意味について
滝野川高等学院教務 足名笙花
*目次*
- はじめに
- 勉強なんて何の意味があるの?中学校までの私。
- 「学ぶことって楽しい‼」通信制高校時代の私。
- 大学、大学院を経て再び考える学ぶ意味。
- フリースクールの職員として考える「学び」の大切さ。
- おわりに
こんにちは。いつもの足名です。
本日は、2年前から書こう書こうと思い書きどまっていた、「学ぶ意味」について、「不登校だった私」「通信制高校生だった私」「大学時代の私」「大学院生としての私」「フリースクール職員としての私」という今までの自分の人生の節目節目をもとに書いていきます。
勉強なんて何の意味があるの?
中学校までの私。
中学時代以前の私は、ピアノやドッチボールなど自分から始めた習い事も練習がキツかったり難しかったりするとすぐやめてしまうほど、継続力がありませんでした。そのうえ勉強も嫌いで、塾にも通ってはいましたが、学校の夏休みの宿題も全て答えを見ながら書くなど、勉強自体好きだと思ったことはあまりありませんでした。
勉強を好きになれなかった理由の1つは、母の口癖でした。「勉強しなさい」と口酸っぱく言われるほど、漢字の書き順の指導を強くされるほど、私は勉強が嫌いになっていったことをよく覚えています。
反面好きだったプールや吹奏楽の習い事は継続出来ていましたが、父の転勤についていく形で、半強制的にやめなければなりませんでした。そう考えると好きな習い事はトコトンやるような性格だったようにも思います。
それでも小学校時代の私も、中学時代の私も「勉強する意味」なんて全く考えたことのない、「学校に行けば勉強せざるを得ないけど、自分からはやらない」というような、感覚で学校生活や日常生活を送っていました。
このため、中学に入学してからは主に人間関係の問題から不登校になってしまいましたが、勉強に関して言えば、不登校を盾にしてやっていなかったような節もあるように思います。
しかし不登校から丸2年となった中学3年生の頃には心の状態も安定してきて、歴史の話である「新選組」が出てくるアニメにはまり、新選組に関する本を図書館で借りて読むようになりました。
中学校の3年間に関しては、定期テストもまともに受けた記憶がないため、強いていうのであれば、歴史関係の本を読んでいたことが私の中学時代唯一の勉強だったかもしれません。
「学ぶことって楽しい‼」通信制高校時代の私。
それから、「高校には行かなきゃ」「高校からはみんなと同じような青春を送りたい」という強い想いから、家から通える範囲にある私立の高校に進学しました。
ちなみに入試の問題は、作文と面接。
通信制高校全日型の高校でもあったので、全入型の試験だったように思います。
しかしその高校に入学してから私の人生は変わりました。
「勉強とは自分の人生の可能性や視野を広げるもの」そう恩師から学び、私はどんどん主体的に勉強を行なうようになりました。しかしながら、元々不登校だった私。
志は高くとも、そもそも入学当初は、朝起きて、学校に遅刻せずに通うことに必死でした。それから、椅子に座って、6時間授業を受けること、寝ないで授業を受けることなど、その過程は、「単に勉強が楽しくなって、どんどん頑張れた」というようなキラキラしたものとはほど遠く、時には涙を流しながら、必死に目の前にある高校生活に食らいついた学生時代でもありました。
それでも漢字検定や英語検定など、目に見える結果を掴むたび、私は私をもっと好きになることが出来ました。そして視野が広がり、出来ること考えられることが増えていくたびに、見える世界が鮮やかに変わっていきました。
その頃には、幾つかの検定を取得したり、定期テストで学年1位を取れたり、生徒会長に抜擢されたりと、自分だけでなく、他者との関わりの中で得られる成長もありました。
「勉強が楽しい」「やればやるほど結果が出る」「もっと学びたい」
高校3年間は「勉強をやる意味」を考えるというより、行動が先に出るような3年間でもありました。
大学、大学院を経て再び考える学ぶ意味。
大学は猛勉強の末、第一志望だった京都の大学に行き、父親を説得して、1人暮らしもはじめました。入学後すぐは、授業の履修や友達作りなど、高校時代のような与えられたままに行なう勉強ではなく、主体的に学ぶこと、高校時代よりもはるかに多い人間関係の中で、試行錯誤しながら生活していました。
教員免許や好きで中国語の授業もとっていたため、卒業時には126単位が卒業要件のところ、200単位以上を取得し卒業しました。そして学生生活の中では、成績優秀者に選ばれるなど、大学のような専門分野を極める場所では、私のように中学時代や高校時代に基礎的な学問をあまり身に着けられなかった人でも結果を残せること、周りの優秀な同級生の中でも戦えるということ、自分自身が目の前にある学問にしっかり向き合えば結果が出るのだということを学びました。
そして大学に入学後、部活動を始めたり、ボランティアに参加してみたり、語学研修旅行に参加してみたり、聴覚障害の学生のためのノートテイクのアルバイトを初めてみたり、公立中学校で支援員として働いてみたりと、私の4年間の学生生活は充実したものとなりました。
そしてこのような様々な体験、経験の中で、「学べる環境がいかに贅沢で特別なものなのか」「人との関わりがいかに大切なのか」単なる座学だけでは学べない、学びの多様性を実感しました。
今は大学院生として、不登校の居場所研究や、大正新教育の研究を継続している立場であり、人との関わりというよりは「いかに自分に向き合い、自分の研究に向き合うか?」といった生活です。
このような生活の中で「学ぶ意味」を考えると、私が学会発表や論文を寄稿することその行為自体が、この社会に影響を与えたり、私の論文から世の中で困っている誰かを救えたりするのではないか?というような意識になっており、
最近では「学ぶ意味」が「社会に還元すること」「社会をより良くすること」「誰かのためになること」といったような、自分のための学びではなく、他者のための学問という形に「私の学び」が変容して来ているように感じます。
フリースクールの職員として考える「学び」の大切さ。
そして大学院と並行して行なっているのが、フリースクール運営です。
主に小学生や中学生の不登校の子どもたち、その親御さんと関わる中で、支援者の立場から「学び」について考える機会も増えました。
不登校になった原因は勉強ではない子たちばかりですが、みんな勉強はあまり好きではありません。しかし多くの子どもたちは小学校低学年。足し算や引き算、掛け算や割り算などの基本的な計算、漢字や読み書きなどの基本的な国語力が足りていない子どもたちもいます。この国語力や計算力が足りないことにより、お友達とのコミュニケーションに難が生じたり、小さな勉強のつまづきにより、学校が楽しくなくなってしまうなど、不登校になってしまった要因とも勉強は密接に関係しています。
このため「勉強は義務」という視点ではなく、子どもたちの可能性を壊さないために、子どもたちの可能性を広げるために、「勉強は必要」という視点から、子どもたちが将来学校に戻りたくなったときや、進学したくなったときに困らない程度の勉強する力は身につけさせてあげたいと、フリースクールスタッフの立場からは考えています。
そして、座学の勉強だけではなく、同じ世代の友達とお話しすること、遊ぶこと、関わることも大切な勉強です。
このため、不登校の子の中には、人間関係や先生との関係の問題から不登校になってしまい、人間不信に陥っている子どもたちもいますが、そんな子どもたちにも、また人を好きにれるように、人と関わり合えるように、寄り添い続けています。
おわりに
‐自分のためから他者のためへ‐
以上が私が今までの人生の中で考えた「学ぶ意味」です。
こう1つ1つ書き記す中で、私の学びあり方は、「自己から他者」に向かっていることに気づきました。
勉強に意味を見出せなかった小学校や中学時代。
苦しみながらも勉強が好きになった高校時代。
目先の結果だけではない、様々な形の学びがあることを学んだ大学時代。
誰かのため、社会のために学びを続け、発信を続ける今。
きっとどれも「勉強をする意味」だったのでしょう。
そしてどんな学びも尊重され、大切にされるべき学びです。
今回もお読みいただきありがとうございました‼
「コメント・いいね」いつでもお待ちしております°˖✧
滝野川高等学院
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