中学時代ほぼ不登校だった私が、母校で教育実習をしてみた感想 滝野川高等学院広報 足名笙花
・はじめに
お久しぶりです。足名です。
私は10月下旬から11月中旬まで、教育実習の関係で実家に帰っていました。
今年はコロナウイルスの影響で6月に予定されていた教育実習が11月になり、さらにコロナ対策のため実習より2週間も前に実家に帰って体調管理をしなければならない、といった様々な制約の中で教育実習が行われました。そして実習期間は本来の実習期間より1週間短い2週間。残りの1週間は12月から1月にかけて大学で行われる補講によってまかなわれます。
今回はそんな私の母校実習の大まかな内容や、どんなことを考えて実習期間を過ごしたのか、などブログにしたためていきたいと思います。
・教育実習初日 7年ぶりに同級生と再会
まず前提としてその他のブログでも書いていますが、私は中学時代のほとんどの期間、引きこもり+適応指導教室通学+相談室登校という不登校の状態で過ごしてきました。このため母校であっても学校の基本的な情報や中学生の一般的な学生生活についてもよく理解していない状態での教育実習でした。もちろん私の情報を現在の学校関係者は知りません。
しかし私の中学時代を唯一知っていたのが、同じ期間に実習を行う2人の元同級生でした。2人とは住んでいる地域が同じ、当時は一緒の部活(もちろん私は幽霊部員)という面識がある者同士でした。このため私は中学校に昨年事前訪問をした時からこの2人も来ることを知っていたため、教育実習初日から大変緊張していました。
しかし集合時間に顔を合わせるとその後はすんなりと会話ができるようになりました。実習生は私と同級生2人の計3人。このため実習生用の部屋もお借りすることができ、ここでの会話や授業準備の時間が2人との距離を縮めさせてくれました。2週間で強く感じたのは「3人とも大人になったんだな~」ということです。中学時代の2人のことをよく覚えているわけではないのですが、今だからこそ分かり合えること助け合えることが教育実習中はたくさんありました。
・母校の新たな一面・印象
私の従来の母校への印象は大変悪いものでした。やんちゃな生徒がたくさんいて、荒れている学校。普通に学校に通っている生徒の中もグループ同士の付き合いや、スクールカーストなど様々な問題を抱えているのが母校、という印象がありました。
しかし私が卒業してから約7年。母校は随分とその様相を変えていました。制服を着崩すような生徒はおらず、先生に対して暴言を吐くような生徒もいませんでした。また学校全体の生徒の雰囲気を見ても、みんな挨拶がしっかりでき、教育実習生に対してどの学年も好意的な対応を行なってくれました。私が2週間の教育実習を乗り越えることができたのは、同級生の存在と、母校の中学生たちの真剣で純粋な温かい気持ちのおかげだったと思います。
しかしながらそう思えたのはある種私が中学生ではなく、実習生だったからなのかな。と思う節もありました。詳しくは記せませんが、やはり学年ごとに人間関係や不登校など、やはり悩みや課題は今も内在していました。私が中学生の頃は目に見えやすい形で問題や課題が頻発していましたが、現在は目には見えづらい。先生も把握しづらい。そんな問題を子どもたちは抱えているように思いました。
・当時のスクールカウンセラーの先生との再会
そして私にとっては大きな再会がありました。それは週に1度来られるスクールカウンセラーの先生との再会です。
私が中学2年に来られた先生だったと覚えています。あれから約8年学校を変えずに継続して母校の相談室に来ているそうです。やはり毎年不登校や何らかの問題を抱えた生徒を支援しているため、「その生徒が卒業するまでいよう」と思い続けていたら「毎年大切な生徒がいるため、学校を変えることができなくなった」と笑って話しておられました。先生らしいな、と思いました。
そして昼休みという短い時間でしたが、私が中学校を卒業してからどのような人生を辿ったのか、お話ししました。先生方の情報網はお広いようで、私が大学に入学したことまでは当時の私の担任の先生から聞いたとお話しされており「よく頑張ったね」と褒めてくださいましたし、私が今やっている不登校支援の活動も「応援しています」とのお言葉をいただきました。
ちなみにこの時会話をした場所は私が中学3年生の大半を過ごした相談室だったのですが、私が当時作成した作品や絵がそのまま置いてあり、少しびっくりしました。そして先生の家の玄関にも私の作品があるそうです。(何をプレゼントしたのか記憶がありません・・・笑)
・教育実習の概要
さて私が教育実習で具体的に行なったことは、主に実地授業(9コマ(3年生公民・指導案込み))と、担当であった3年生のあるクラスのHRや下校指導、そして各先生の授業参観、そして部活見学、最終日の公開研究授業(+学習指導案細案作成)でした。
もともと3週間で行う内容が2週間で凝縮して進められたような日々で、朝は7時過ぎには登校、下校は大体18時過ぎの1日約11時間実習でした。そして帰宅後も授業準備や指導案作成、教育実習日誌作成に追われ、2週間の平均睡眠時間は4時間程度でした。
しかしこれだけ追い込んでやっても、褒められるどころか「当たり前のこと」だと指導教官に言われてしまい、指導案も大幅な書き直しを指示され、本当に辛い時もありました。このあたりの私が実習中に感じた疑問や学校に内在する問題についてはまた別のブログでお話ししたいと思います。
・最終日実地授業
2週間の実習の最終日、3年生の教室で公民の研究授業を行いました。教育実習の最終難関それが研究授業です。学習指導案は細案(学習指導案の中でも一番細かく書く計画書)で作成し、研究授業には大勢の先生方が来られ、授業後には反省会が行われる。この流れが教育実習の集大成となります。私の場合この学習指導案の作成に手間取り土曜日まで学校に行きました。この経緯についても別のところでお話ししたいと思います。
何はともあれ最終日であった月曜日4限目の研究授業、私はもちろんですが、授業を受けてくれた3年生のみんなも緊張していました。しかしながら私を助けるように生徒のみんなは積極的に手を挙げて問いについて考えてくれ、とても良い形で研究授業は終わりました。本当に生徒の皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。
・生徒に救われた2週間
そしてその日の6限目、私は担当だったクラスの先生に許可をもらい、授業冒頭15分をいただき、自分自身の母校での思い出や経験、そして進路の話や私が大切にしている思いなどをお話ししました。
みんなすごく真剣にお話を聞いてくれて、「本当に母校に来てよかった…」そう強く思いました。
2週間という短い間ではありましたが、全学年の生徒の皆さんにたくさん声をかけてもらい、放課後には皆と長いお別れの話をしました。
この日のことはきっと一生忘れないと思います。
この生徒は私が初回授業終了後上手くいかなかったため落ち込んでいると「先生の授業とても分かりやすかったです」と
わざわざ言いに来てくれた生徒でした。
この子のこともきっとずっと忘れないでしょう。
・おわりに 中学時代の私へ
そして生徒を全員送り出して、放課後研究授業の反省会を行ない、同じ期間実習を共にした元同級生2人とお別れの挨拶をして、中学校の光景を目に焼き付けて私は学校を去りました。中学時代の私はこんな光景を想像できたでしょうか。なんとも言えない清々しい気持ちと言葉に表せない深い感情が胸に込みあげてきました。そして次の日の大学の授業に向けて電車に乗りました。
自分の通った母校で実習することができたのも何かの縁のような気がします。
・・・電車の中でこんなことを考えていました。
中学時代の私へ。大学4年生の私はあなたが大嫌いだった先生になって母校に帰ってきました。もう裏口から学校に入らないでいいんだよ。相談室や保健室で一日を過ごさなくてもいいんだよ。むしろたくさんの教室にまわって、教壇に立って授業をしてる。同級生と同じ仕事を学んでいる。たくさんの生徒に囲まれている。人生は変えられる。こんなに違う景色が待ってるんだよ。
この2週間で私はまた一歩前に進みました。
今回のブログは実習で感じたこと考えたこと、実習の概要などを淡々と書いていきました。
私の経験や出来事から読者の皆様が何かを感じとっていただけたら幸いです。
今回もお読みいただきありがとうございました°˖✧
滝野川高等学院
住所:東京都北区浮間1丁目1−6 KMP北赤羽駅前ビル3F
NEW
-
2022.11.21
-
2022.09.15フリースクールの出席...滝野川高等学院教務 足名笙花 こんにちは。いつも...
-
2022.09.07一人旅のススメ滝野川高等学院教務 足名笙花 こんにちは。いつ...
-
2022.08.01宇都宮大学大学院に合...滝野川高等学院 スタッフ足名笙花 ご無沙汰してい...
-
2022.03.29元不登校は不登校問題......
-
2022.03.29元不登校が考える学ぶ...滝野川高等学院教務 足名笙花 ...
-
2022.03.07不登校の保護者に読ん...滝野川高等学院教務 足名笙花 こんにちは。いつも...
-
2022.02.12みんな違ってみんない...滝野川高等学院教務 足名笙花 遅くなりまし...