「ともに生きる」

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風景

滝野川高等学院広報 足名笙花

*はじめに*

 今回のブログは、私が在学している京都女子大学にて行われた、宗教文化研究センターの懸賞論文にて2020年度の最優秀賞に選ばれた論文を掲載します。この論文では自分の今までの人生とコロナウイルスについて書きました。

現在学校生活や人間関係で悩んでいる皆さん、お子さんが不登校となっている親御さん、様々な方に読んでいただきたい文章です。

 ではどうぞ。

〇自分というちっぽけな存在

 浄土真宗では「他力」を重視する。これは悟りを得ようとどれだけ修行に精進したとしても自力では成果を上げることが難しいという事実に気づき、自分の全てを捨てて他力にすがるしか救われることはないと気づくことから始まる。「他力」とは阿弥陀仏による救いの力であり、法然聖人の『選択本願念仏集』における専修念仏や、親鸞聖人の「悪人正機」の教えは「他力」を中心とした考えである。

 この考えを実生活において応用するならば、自力だけでは生きていけないどうしようもない自分を認め、目に見えない大きな阿弥陀仏の力に思いを寄せながら、他者を信じ他者とともに生きていくことが「他力」を実践することだと私は考えた。

〇コロナウイルスと孤独

 今、あらゆる人々の生活がコロナウイルスによって大きな影響を受けている。自分の好きなタイミングで外に出かけることができなくなり、学校で学ぶこともできなくなった。いつもなら笑顔で迎えてくれる家族も今回ばかりは私が実家に帰ることを拒んだ。そして常にマスクを着用した生活を余儀なくされた。

 日本でコロナウイルスの話が出始めたのは2020年の1月頃の話だ。当時コロナウイルスに対して深く考えている人は少なかった。しかしそれから時間が経つにつれその恐ろしさを認識する人が増えていき、日常は奪われていった。テレビや新聞は昼夜問わずコロナウイルスの感染者数やウイルスの恐ろしさを報道。世界中でたくさんの人々が亡くなった。その状況は今も続いている。

 そして四月になり、私は大学生活最後の新学期をたった1人、下宿先のアパートで迎えていた。予定されていた多くの行事は延期または中止。社会と隔絶された生活。居場所がない。そのとき私は中学時代に経験したつらい日々のことを思い出した。

〇不登校と私

 私は中学時代不登校になった。小学校時代、父親の仕事の都合で県をまたいで小学校が5回も変わった。中学校に入学するときも家族の都合で、小学校からの友人たちとは異なる中学校に入学した。この頃になると家庭環境の不具合や、度重なる転校による人間関係の構築の難しさから、人を信じることができなくなり学校に通うことが難しくなった。中学1年生の夏のことだった。

 それから約1年、声が聞こえると全てが私に対する悪口に聞こえるようになり、同世代の人の姿を見るだけで何をされたわけでもないのに恐怖から体が動かなくなった。次第に外に出ることも怖くなり、家と心療内科の行き来のみの生活。中学1年生の冬には躁うつ病と診断された。2年生からは市が運営する適応指導教室に通い、時には精神薬の副作用による急激な体重の増加や心的な問題の対応も踏まえ、病院に数か月入院しながら学校に通う時期もあった。病院と連携している学校だったことから同級生は1人もいない。いつも先生と私だけ。しかしながらその生活も長くは続かなかった。私の気持ちが不安定だったこともあり、看護師と折り合いがつかず、病院から強制退院を言い渡されたのだ。

 入院もできない。学校にも行けない。居場所がない。当時の私の心はズタズタ。いつも実行には移せない死と隣り合わせで生きていた。体育祭も文化祭も遠くの誰にも会わないスペースから。修学旅行は2つの中学校でチャンスがあったが、地元の中学校では事前説明会に参加しながらも出発当日にキャンセル。支援学校の方では強制退院だったこともあり、修学旅行は叶わない夢となった。

 そして3年生になった。進路のことを少しずつ考えはじめ、学校の相談室登校になった。当時の校長先生と教頭先生は、とても私を可愛がってくれ、絵を描いたり工作をしたりするのが好きな私に、学校に飾るクリスマスツリーの作成依頼や、みんなが授業中に行う雑務を一緒にさせてくれた。理科の先生とはウーパールーパーの飼育、美術の先生とはアニメのイラスト模写、1週間に2度はスクールカウンセラーの先生と海辺を散歩、人の優しさを少しずつ受け入れられるようになった。しかし卒業アルバムにはみんなが制服で写っているなか、1人だけ保健室で撮影したジャージ姿。とても孤独で辛い中学校生活だった。

 Withコロナの時代。子どもだけでなく大人も自粛生活を余儀なくされた。それはまるで自分に意思があるのに学校に行くことができなかった私の中学時代のようだった。コロナウイルスが人々に孤独を身近に、居場所がないという困難を身近に、そして不登校という状態を身近にさせ、世界中の人々に不登校を追体験させた。

 コロナウイルス以前の社会であったら「不登校」とは否定的な目で見られることも多かっただろう。特に私の両親や祖父母の世代は、学校に行くことが当たり前だと思っていた世代であり、私自身が不登校となった際も大きな対立を生んだ。怒鳴られ殴られ引きずられながら学校に通ったこともあった。親不孝だと泣かれたこともあった。しかし今回のコロナウイルスによる自粛生活によって多くの人は気づいたはずだ。自粛は怠惰ではない。外に出たくても出られない辛さ。自由に活動できない苦しみを。それは多くの不登校の子どもたちの状態と重なるのだ。当然学校に行かない選択をした不登校もいる。しかし多くの場合、何らかの要因から学校に行きたくても通うことができない子どもたちなのだ。

 平成30年度の文部科学省の調査によると、不登校の小中学生は平成24年度を皮切りに増加の一途辿っている。その数約164000人。小学生においては144人に1人。中学生においては27人に1人。つまり中学生の場合、全国の中学校のクラスに1人は不登校の生徒が在籍している計算となる。また小学生中学生ともに、不登校になった要因の1位は「家庭に係る状況」、2位は「いじめを除く友人関係をめぐる問題」、3位は「学業の不振」と、周囲の対応によっては学校に通うことができる内容である。ただし家庭に関わる問題によって学校に行くことができない子どもの場合、学校だけでなく家にも居場所がない可能性が高い。自己決定権や自立力が乏しい子どもたちは何にどのような助けを求めればよいのだろう。そして自粛によって不登校と紙一重な状態となった全国の小中学生ならびに高校生、大学生は何を考えただろう。

〇救済とは何か

 現在、コロナウイルスにより経済的にそして精神的に追い込まれている人々はたくさんいるはずだ。大学生はその最たる例だろう。京都女子大学はありがたいことに、後期から対面の授業を再開した。しかし一月末に春休みに入ってから約8か月。こんなに長い間学校に行くことができない日々が続くとは思っていなかった。中学時代の私と今の私が苦しんでいる理由は異なる。しかし共通点は多い。

 私は自粛期間にSNSをあまり見ないように、書かないようにしていた。理由はコロナウイルスによるストレスや不満・不安から、人々の投稿内容やコメント欄が過激化しているように感じたからだ。人間は思ったこと、考えたことしか言葉にできない。そのハードルがSNSでは下がってしまう。匿名で本音や心にある思いを吐露することは決して悪いことではない。しかし人の心を傷つけたり、批判したり、挙句の果てに人が死ぬまで追い詰めることは絶対に許されることではない。そんなことを考えていた矢先、芸能界でも活躍されていたプロレスラーの木村花さんの自殺が報道された。原因はSNSでの誹謗中傷とされている。享年22歳。年齢の近い人の死は、私の胸に大きな衝撃を与えた。

 コロナウイルスによって人々は困難な生活を強いられた。それにより人の本性が見える機会が増えた。未知のウイルスであるにも関わらず至る所で責任者を作り出した。それにも関わらず人々は救済を求めていた。

 コロナウイルスによって過激化した人々の行動は親鸞聖人のとなえた「本願ぼこり」の考え近いものを感じた。「本願ぼこり」とは、親鸞聖人のとなえた悪人正機の教えを根拠に、それに甘えて自らの悪を慎むことのない者のことである。親鸞聖人はこのような者の行動について「くすりあり、毒をこのめとさふらふらんことは、あるべくもさふらはずとぞおぼえ候」(建長4年親鸞消息)、つまり「薬があるから毒を好きになりなさいなどとは、あってよいはずがない」と非難し、浄土宗の向阿証賢も自らが記した『帰命本願抄』に「本願にほこりてつみを心やすくおもはん人は、はじめは信心あるににたりとも、のちにはたすけ給への心もなくなるべし」として「本願に甘え罪を作っても問題ないと思う人は、最初は阿弥陀仏への信心があるようにみえますが、のちには助けてくださいという心もなくなってしまうでしょう」と、注意を促している。

 親鸞聖人のといた「悪人正機」の悪人とは、現代でいう法をおかした者という意味ではなく、「本当は正しくありたいと考えているが煩悩に遮られて、迷いの中で苦しんでいる人」という意味である。つまり悪人正機の悪人とは、自分は悪人であるという自覚のもとに生きる人々の姿である。

 このことから未知のウイルスを前に、不安な心と「私こそが救われるべき人間」といった思いを盾に、ウイルスとは異なるところで多くの人々を傷つけている様子が、自力によって自分を救うことができない自分を認識せずに、阿弥陀仏の救いを盾に過ちを繰り返している人々と重なってみえた。コロナウイルスによって窮地に立たされた人々の振る舞いは、私には表面は悪人を装いながら内面は自分が正しいといった考えをもつ、救済を権利と捉えそのうえにあぐらをかいているような姿に映ったのだ。救済されることは当然。このような姿では本質的には救われない。

 これは不登校支援の際にも感じることだ。自分は苦しくて辛い思いをした。だから助けられるべきだ。支援されるべきだ。そのスタンスでは一生本人が自立することはできない。できたとしてもきっと一生不平不満を述べているだろう。

 私は不登校の当事者だったからこそ言いたいことがある。それは人に求めれば求めるほど苦しみは増すということだ。どんな状況にあったとしても他責ばかりを続けていたら満たされることはない。そして自分の問題として物事を捉えられるようになれば、世界が変わるということだ。

〇当たり前の幸せ

 私は中学校を卒業後、不登校生の多い通信制高校に入学し、人をもう一度信じること、人と関わることのすばらしさを知った。そして学校に通えること、友達がいること、勉強ができること、多くの人には当たり前の日常を噛みしめて3年間過ごし、第1志望で あった京都女子大学に入学した。入試を突破して大学に行く。それは通信制高校出身者としては大きな快挙であった。なぜなら通信制高校の大学・短大進学率は全日制・定時制が54%台なのに対し、通信制は18%と大きな差があるからだ。また進路未決定率も全日制・定時制が4~5%台なのに対し、通信制は37~40%台と圧倒的に高い。現状通信制高校から大学に行くということには大きなハードルがある。私はたくさんの人の助けや支えによってここまで来ることができた。次は私が誰かを支える人になりたい。そしてこの頃、教員になるという夢がめばえた。

 大学に入学後はごく当たり前の学生生活を満喫していた。中学時代不登校だったことも親しい友人以外には公にしていなかった。そして3回生になった。ある講義の冒頭で、教育実習をする際に行う挨拶を受講生の前で1人ずつ行う予行練習の機会があった。私の行く実習先は私が通うことができなかった母校の中学校。きっと周りの学生にはない感覚だろう。葛藤の末ここに行くことに決めていた。そのため私は自分が学校に通えていなかったこと、それでも今は学校の先生になる夢があるということ、そしてみんなも悩みや苦しみがあれば相談してほしい必ず力になると、受講生の前で話しをした。1分という時間が途方もなく長い時間に感じた。同級生の視線が少し怖かった。ところが話し終わると自然と拍手が聞こえた。みんなの心の奥は見えない。けれど少しだけ、自分の歩んできた道が認められた気がした。中学時代の私は、数年後の未来にこんな場面が待っていることを想像できただろうか。

〇支えるということ。生きるということ。

 私は2018年から不登校生徒の受け入れを行うフリースクールのスタッフとして生徒の支援に携わっている。そこでは不登校の中学生、通信制高校に通う高校生、ならびに社会人が、再び社会的なコミュニティに戻るためのお手伝いをしている。特別なことはしない。ともに学び行動をともにする。一緒に成長する。そのスタンスでこの2年やってきた。

 そしてフリースクールのスタッフとして働くと同時に、この4月から京都市内の中学校にて、学習支援員として週2日働いている。

 あるとき学習支援の合間に事件が起きた。それはある中学生が発した言葉だった。「先生の左腕にはどうしてたくさん傷があるの?」きっとその生徒は深い意味をもって聞いたわけではない。興味本位で私に尋ねてきたのだ。この傷については高校時代も大学時代も1度も問われたことがなかった。夏は半そで、冬も暑ければ腕をまくる。そんな生活をずっとしてきた。中学生が尋ねたように、私の左腕にはいくつかの傷がある。隠して生きていないためここに記そうと思う。これは中学時代私が自分自身につけた傷だ。世の中の人の認識はただ1つ自傷行為だ。

 当時の私はどれだけ手を伸ばしても自分の居場所を手に入れることができなかった。きっとすぐそばに手を差し伸べてくれる人はたくさんいたのだと思う。しかしながら当時の私はそんな存在に気付くことができなかった。そして人の注目を集めるために、どうしようもない心の溝を埋めるために、自分を自らの手で傷つけた。正直当時のことはよく覚えていない。それはその後の人生が充実したものだったからか、当時の記憶に私が無意識に蓋をしているのかは分からない。

 しかしそんな経験を多感な時期である中学生に伝えることは避けようとその瞬間感じた。言葉で伝えなくとも、きっと私の日々の行動によって何かを中学生に伝えることはできるのではないか。と思ったうえでの判断だった。

 私はそんな中学生や、世の中の人々に伝えたいことがある。

 それは学校に通うことができる人、通うことができない人、どちらにも様々な悩みや苦しみがあり、どれだけ元気な人も環境によっては、死を考えるまで追い込まれてしまうということだ。

 生きていると様々な壁に阻まれる。しかし生きることを阻む側にはならないでほしい。そして生きようとする人、前に進もうとする人に寄り添えるような人であってほしい。

 私は小学生のとき、中学生のとき、そんな救済を求めていた。そして生きるための拠り所を探していた。そして高校生になり私を支えてくれる仲間と出会った。どんなに苦しい状況にあっても過去にどうしようもなく辛いことがあっても、私自身が前を向けば何かが変わる、ということを様々な経験を通じて知ることができた。1人ができることは限られる。しかし自分が変わること、自分の生き方を見つめること、自分が他者の希望となることはできる。私はこれからもこの気持ちを大切に生きていきたい。そして全ての人が自分自身の過去や今と向き合い、他者の心に寄り添い、ともに生きていける社会をつくってきたい。

〈参考文献〉

文部科学省HP「平成30年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」(最終閲覧日2020年9月14日)

URLhttps://www.mext.go.jp/content/1410392.pdf

文部科学省HP「学校基本調査‐結果の概要」(平成22~30年度)(最終閲覧日2020年9月27日)

URLhttps://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11293659/www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa01/kihon/kekka/1268046.htm

今井雅晴『人とあるく 親鸞と東国』、吉川弘文館、2013年。

今井雅晴『親鸞と歎異抄』、吉川弘文館、2015年。

今井雅晴『帰京後の親鸞‐明日にともしびを‐③70歳の親鸞‐悪人正機説の広まり‐』、自照社出版、2019年。

信楽峻麿『真宗学シリーズ①現代親鸞入門』、法藏館、2010年。

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