‐公立中学校の支援員を1年間してみて感じたこと‐
滝野川高等学院教務 足名笙花
- 支援とは何なのか?‐日頃からの疑問-
- 中学校の支援員になる。
- コロナ禍と支援員。
- 1年間支援員をしてみて。
- おわりに ‐もう一度「支援」という言葉について考えてみる‐
「支援」とは何なのか?
‐日頃からの疑問‐
皆さんは「支援」という言葉は好きですか??私はどちらかというと苦手です。
「支援される」「支援してあげる」、類義語であれば「助けてもらう」「助けてあげる」。まるで上下関係があるような、双方に人として違いや差があるような言葉に聞こえてしまいます。
このため私は滝野川高等学院のスタッフをしている際も「~してあげる」というような言葉を使うことを意識的に避けるようにしていますし、支援する側とされる側というような雰囲気ではなく、「ともに学びともに考え、ともに成長していく」このぐらいのスタンスでやっています。
このような考えをもつ私のところに昨年2020年2月、大学の先生からある紹介がありました。「来年度4月から公立中学校で支援員の仕事をやってみない?」私の中では思いもよらぬ提案でした。
その場では具体的な支援員の仕事の内容は分かりませんでしたが、週2日計10時間の支援員を探しているようでした。
私はせっかくの紹介でもあると思い、とりあえず支援員を募集している中学校に面会に行ってみました。自分の家からは電車に乗って約1時間。決して短い移動距離ではありません。見学感覚でいったつもりでしたが、面談でお会いした校長先生と教頭先生は支援員をとても探していたらしく、悩む間もなく即日採用となりました。
中学校の支援員になる。
そんなこんなで初めての勤務日4月1日を迎えました。職員室には私の名前が書かれた先生方と同じ職員机。学生という身分の私にこんな環境を整えてくださったことに、身の引き締まる思いでした。
そして迎えた入学式。真新しい制服を着た新1年生の前で他の先生方と一緒に私も支援員として挨拶を行いました。これから支援員としての活動が始まる。そんな思いで支援員としての1年間が始まりました。
コロナ禍と支援員
しかしながら2020年の4月はコロナウイルスの脅威を日本人がまざまざと感じ始めた時期でもあります。それを証拠に入学式をしたものの、そのあとすぐに発出された緊急事態宣言により、5月いっぱいまで学校は休校となりました。
この間の私の活動は、といいますと、支援員というのは生徒がいなければ始まらない仕事でもあるので、職員室で本を読んだり、先生方のお手伝いをしながら過ごす日々が続きました。
6月になって学校が再開されると急ピッチで授業を進めるカリキュラムが組まれました。生徒たちは右も左も分からない学校生活の中、慣れない授業に追いつこうと必死です。
特に必要だったのは学習支援です。中学校に入り算数は数学へ、英語は単語や簡単な英会話から文法や英文の読解など本格的な内容に。テスト期間は成績に直結するため真剣そのものです。
しかし急に始まった授業。遅刻しまったり、慣れない授業への疲れか居眠りしてしまう生徒がいたりと、学校再開に関わる問題点が浮き彫りとなっており、「支援員」として私が出来ることを模索する日々が始まりました。
以下が活動内容です。
| 出勤 | 08:15~ | 朝の挨拶運動・職員朝礼 |
| 朝礼・ 朝の会 |
08:25~08:40 | 1年生朝の会参加・ 生徒へのマスク支給・検温消毒などのコロナ対策 |
| 1限目 | 08:50~09:40 | 学習支援・保健室への付き添い・授業参加・廊下換気 |
| 2限目 | 09:50~10:40 | ↓ |
| 3限目 | 10:50~11:40 | ↓ |
| 4限目 | 11:50~12:40 | ↓ |
| 給食・昼休み | 12:50~13:20 | 職員室にて昼食(コロナ対策)・1年生と昼休みを過ごす・ 掃除指導 |
| 退勤 | 13:25~ | 大体14時前には退勤 帰宅は15時頃 |
昨年度はコロナ禍の中、学校生活が行われたため、消毒・換気はもちろん、支援員である私は給食時など接触機会が多いタイミングは生徒と離れていました。
またコロナ禍の中突如新学期が始まったため、中学生活に慣れない生徒への細やかな支援と生徒の心のケアも求められました。
しかしここで私に壁立ちはだかります。
それは私が任命された支援員という職の形態にありました。
京都市の定める「総合育成支援員」という役職は教員免許を持っていなくとも教育委員会や各学校ごとの管理職の任命で、職に就くことが出来ます。
様々な人が支援員になることが出来るのは良いことですが、反対に免許を持っていなくとも支援員になることが出来るため、生徒の指導や支援に当たって権限を持つことができません。
また私の場合大学4年生の在学時に支援員となったため、何かと生徒の支援の際に判断に困ることがありました。
「支援」とは何なのか?職の立場によって変化するものなのか?
一番重視しなくてはならないのは、生徒自身の気持ちや成長に寄り添ったベストの対応をすることではないのか?
しかしながら私には時間的にも立場的にもできることは限られます。
もちろん先生方に相談したこともありましたが、先生方によって対応策やアドバイスの内容は異なります。
どこまで踏み込んでいいものか、どこまで関わっていいものなのか、悩み続ける日々が続きました。そしてこの悩みは1年間を通じて悩み抜いた問いでもありました。
1年間支援員をしてみて
悩み抜いた支援員という職でしたが、嬉しいこともたくさんあった1年間でした。
生徒が分からない問題が解けた時。遅刻の数が減った時。笑顔が増えたとき。声を変えてくれる頻度が増えた時。自分の話をしてくれるようになった時。私にだけ相談してくれる内容が出来たとき。
学校に行くたびに一人ひとりの生徒に対する想いが増えていき、生徒同士にトラブルがあった日や、生徒がケガをしてしまった日の翌日は、学校に行く日ではなくとも、頭の中は生徒のことでいっぱいでした。
支援員として何が出来たか?と問われると答えに戸惑ってしまいますが、私は生徒から様々な影響を受け、きっと生徒のみんなも「私」から何らかの影響を受けたのだと思います。
おわりに
‐もう一度「支援」という言葉について考えてみる ‐
私がこの1年、公立中学校で支援員として活動してみて分かったことは、やっぱり「支援」という言葉は嫌いということでした。
「学習支援」「子育て支援」「不登校支援」
支援という言葉は様々な所で使用されます。
支援する。支援される。
そんな両極端な関係じゃなくて、一緒に学んで一緒に笑って、時々私が生徒に対して教えたり注意したりすることがあって、そんな関係でいいじゃない??
そんな風に支援員という職を通じて再認識しました。
この気持ちは滝野川高等学院のスタッフをしている今、活かされています。滝野川高等学院はフリースクールとして学習の場としてみんなの成長の場として、この場所は「支援」という言葉を超越した「居場所」となっています。
今後も私の考える「支援」という言葉の意味を大切にしながら、生徒のみんなと関わっていきたいと思います。
今回もお読みいただきありがとうございました。